目次へ


六中観(りくちゅうかん)                               20191030


六中観とは、昭和の先哲安岡正篤氏がのこされた言葉です。まずは、先哲の思いを味わってみたいと思います。

1.忙中有閑(ぼうちゅうかんあり)

ただの閑は退屈でしかない。真の閑は忙中である。ただの忙は価値がない。文字通り心を失うばかりである。
忙中閑あって初めて生きる。


2. 苦中有楽(くちゅうらくあり)

 苦をただ苦しむのは動物的である。いかなる苦にも楽がある。病臥して熱の落ちた時、寝あいた夜半に枕頭の
スタンドをひねって、心静かに書を読んだ楽は忘れられない。貧といえども苦しいばかりではない。貧は貧なり
に楽もある。


3.  死中有活(しちゅうかつあり)

 窮すれば通ずるということがある。死地に入って意外に活路が開けるものである。うろたえるからいけない。
それのみならず、そもそも永生は死すればこそである。全身全霊をうちこんでこそ何ものかを永遠に残すこと、
すなわち永生が実現するのである。

4.  壺中有天(こちゅうてんあり)

 世俗生活の中にあって、それに限定されず、独自の世界即ち別天地をもつ事。

5.意中有人(いちゅうひとあり)

 常に心の中に人物をもつということ。或いは私淑する偉人を、或いは共に隠棲できる伴侶を、又、要路に推薦
しうる人材の用意。


6.  腹中有書(ふくちゅうしょあり)

 目にとめたとか、頭の中の滓のような知識ではなく、腹の中に納まっておる哲学のこと。


そして、安岡氏はこの六中観を「私は平生ひそかにこの観をなして、如何なる場合も決して絶望したり、仕事に負
けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。」と結ばれています。

偉人や哲人といわれる人のことばは、読んでいても心に響くものがあるものです。しかし、只、いいなで終わらせ
てしまっては、何としてももったいないと思うのです。ご自身なりに咀嚼して、ご自身の言葉として腹に収めて
こそこの言葉が生きてくるのではないでしょうか。


哲人には及びませんが、私なりにこの言葉を咀嚼して生きて行こうと思っています。

忙中有閑

閑中閑ほど、なすべきことのない味気無さはありません。仕事が忙しいときなどは、暇が欲しいと思うものです
が、暇になってしまえば忙しかった仕事が懐かしくなるものです。忙しいときほど閑を味わうべきものなのです。
逆に仕事の退職後についていえば、閑に甘んじるのではなく自ら求めても忙なる世界を求めて行くべきだと思うの
です。忙の中の閑を楽しむ。


苦中有楽

楽とは本来は、苦労についているものと考えるのが妥当だと思います。
楽ばっかりを追いかけていても、なかなか恵まれるものではありません。
それよりも、日頃苦労と思っていることを楽しみに振り返ることができたら常日頃が楽になるのですからこれほど
強いものはありません。
仕事一つとっても、やらされているとおもうと、1分さえもが苦痛ですが、自らの仕事で明日の世界を切り開くと
考えたら、これは楽しみの世界に変わってきます。


死中有活

切結ぶ太刀の下こそ地獄なれ身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。という昔の言葉があります。柳生流の奥義とも。
武士の時代、太刀を交えるとき,勝とう勝とうと思ってもそうはいかない、自らの心を死地に置いて踏み込んで
いけば勝機も見えてくるという言葉でしょうか。物事に真剣に向き合って無邪気に取り組んでいけば未来は開け
てくる。


壺中有天

後漢書方術伝に記載されている費長房の故事によるもので、薬売りの老人が店が終わると壺の中に帰っていくのを
みて、老人に頼み一緒に連れて行ってもらったところそこは別天地で美酒佳肴が並び老人と歓を尽くして過ごした
という話で壺の中の別世界、転じて、酒を飲んでこの世の憂さを忘れる楽しみとも。どんな時でも、自分の心の中
は自由なので、常に心を別天地で楽しませることが大事ということです。


意中有人

苦しくなったとき、自ら私淑する人をもっておりこんな時この人ならどんな行動をとったろうと思うだけで、解決
策がおのずと浮かんでくるものです。



腹中有書

文字の歴史が始まって2千年以上が過ぎており、いまでもその歴史を振り返ることができます。私たちが読む書物
を見る限り1回こっきりという書物がなんと多いことでしょうか。本当に良い書物というものは何べん読んでもそ
の都度別の感動を与えてくれるものです。
それはその書物の中に真理が説かれているからだと思うのです。


あらためて自分なりの、六中観をまとめてみたのですが、これも繰り返し。
繰り返し、自分に語り掛けて行ってこそ効果のあるものだと考えています。

日常の生活に語り掛けながら、如何なる場合も決して絶望したり、仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥
らないよう生きていきたい。